東京都江戸川区鹿骨(ししぼね)
というところにある、
真言宗蜜蔵院というお寺の
住職さんが書いた
『気にしない練習』。
五十男浪(いそおろう)の
ヤワ(?)なハートにも
ぐさぐさササる
お言葉をたくさん
いただきました。
「気にしている人に、気にするなというのは酷な話」
そりゃそうだ
「気にすること」と「気にしないこと」を分ける必要がある。
=>気にしても自分が向上しないこと、自分をみじめにすること、自分の力ではどうしようもないことはさっさと忘れてしまうべき。
それがすぐにできれば、とても楽なのだが…
些細なことが気になって、心おだやかでいられない人が「遠ざかったほうが良い”悪いこと”の十カ条(十善戒)は「むやみな殺生、時間を含めた盗み、男女のよこしまな関係、嘘、きれいごと、乱暴な言葉づかい、人の悪口、物惜しみ、怒り、誤った見方」のこと。
だいぶ俗世から離れたつもりでいたけれど、まだ遠ざかりきれていない「時間どろぼう」や「嘘」「きれいごと」がたくさんあるなぁ。
人間には「愛されたい、認められたい、役に立ちたい、褒められたい」という4つの願いがある。この中で特にやっかいなのが「褒められたい」で、褒められようとすると、自分にも相手にも無理をさせてしまう。
ああ、過去に一緒に過ごした、働いたやつらの中では、アイツとソイツのことだ、まさに…。
「『私は意外と神経質なんです」と言う人に限って無神経な人が多いのはなぜだろう」
このセリフ、無神経なやつから何度浴びせられたことだろう。
みんなに好かれたい人は、毎日つらいだろう。好かれたいと考えることは、嫌われたくないと言う恐怖を抱き続けることだからだ。
傲慢さは、恐怖心の裏返しだったのね…。
というわけで、グサグサと刺されつつも、おすすめの1冊です。
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